仏法東来 第一集


ご紹介:

正觉同修会が最近出品した『仏法東来》の映画は,仏法の真相を明らかに、大衆に本当の仏法の真実を了解させる目的である。大きい庙の中にただの仏像があればそれは仏教とはいえない。本当の仏教は仏が教化し、大衆に解脱や明心の知恵をさせるのだ。しかし、今では多くの外道達は外道の方法と内容を仏法に混ぜて伝えているので、だんだん本当の仏法は外道法に代わられ、みんなに忘れられているのだ。

我らの希望は世界各地の人々を偽の仏法じゃなくて、本当の仏法を了解させることだ。

当年唐朝の時期、多くの西域の法師が中土へ伝法に来て、しかし仏法の経典の通訳は完整じゃなくて、多くの胡僧は中土にて外道の法を伝えた,そして中土に多くの法師も仏法を誤解した。玄弉大師が仏法の真相を明らかにするように、西域へ行くと決定した。玄弉大師は本当の仏法の経典を流布させる為、あんなに苦労して西天へ取経の旅と浩大な翻訳との過程があった。それは真の仏法は経典からの根拠があり、それさえ仏教を学ぶ人達が論経を読む時に、是非を知らさせるのだ。

仏陀の経典によってこそ、真の仏法の真実の義を示した。同じく玄弉大師の功労で、それに経典の流布があって、だからこそ後代禅宗祖師達が悟った後の認定を疑わない。大乗仏法は中土に順調に伝わることができるのだ。

正觉同修会のこのシリーズ「仏法東来』との弘法は、玄弉大師の物語を通して皆さんに何が本当の仏法だか?仏教を学ぶ人を輪廻という生死の海を了解させて、生死を解脱する方向を知らせて、輪廻との生死の海に迷わずに真の彼岸に至る。

阿弥陀仏。

第一集:

ナレーション:二千五百多年前に、人と天人が集まっていて、とっても荘厳な仏教の法会を開いた,釈迦仏は微妙な音と声で大衆をこのように伝えた:私は涅槃後から五百年、大乗の仏法が流布し始め、天竺から東北側の震旦へ伝わる;文殊師利菩薩が長い間、ずっと震旦という中国の清涼山に住んでいて、大衆を教化している、無量な菩薩の眷属が彼の後に追う続いて、あの時になったら、たくさんの善男、善女が一緒に大乗仏法を擁護するのだ。

震旦すなわち中国だ,この土地にいる人は世代に農耕し、个性は素朴で、足りを知り常に楽し、大衆が儒教の伝統的な倫理文化の薫陶を受け、普遍に礼儀廉恥を知り、当たり前に君子の徳行を憧れる。それで若しある徳者は呼ばれば、すぐに上行下效で、风习が変わる;それに華夏の民風を尊重して、大乗の賢聖を敬重し、如実に大乗の真理を信じ、大乗との仏法に相応する。

陈正源先生:儒教が親孝行を提唱するため、中華民族は二千年以来、孝行で传家、最も親孝行を重視する民族に成り、これはちょうど『地蔵菩薩本願経』の中に、光目という孝女は母親を救度した経教が宣揚した孝行心と一致した。しかし仏教は衆生は無始劫以来、
解脱して涅槃に入る事を除いて、必ず三界六道の中に一世又一世に生死の中で流転するのは事実だ、一切の有情は無始以来、既に自分の父や母との事実を分かり、だからこのような孝順心が他人の身になって考えてやる。だから仏教の出家、在宅菩薩戒律の中に、仏陀が弟子たちを日々に教誨して、どんな有情衆生に対しても、自分の父や母だと同じように対し、孝順心を生き起こす。中国人の孝順と言う伝統は仏陀のこの教誨と一致し、だから沢山の人は大乗菩薩戒を楽に受け、菩薩になるようと決心し、大乗仏菩提という聖道と相応するのだ。

儒家も同じく仁徳を提唱して、希望は「孤児や寡婦、孤独者、疾者等の皆が養う事ができる」との大同の世界を実現することだ。世界に入り世界を済むこのような精神は大乗仏法の中に、仏の弟子は世世に菩薩道を行う、多くの衆生を救え、衆生を利楽や解脱させる願を祈る志向等とちょうど合うだ。そこで華人は普遍的に大乗仏法に熱中に修学し、諸仏のよう広大な功徳に圓満に成就する願を祈り、それに荘厳浄土を以って有情を摂受する、だから諸仏如来の広大な愿行に感応道交だと応じる。

ナレーション:こんな華夏神州の沃地に、温厚な文化の根拠との不可思議な大乗仏法は間も無くここへ定着に来て、すこやかで、広がって、衆生を利益散らしている。

陈正源先生:2500年余り前に,釈迦牟尼仏がインドの化缘が円満になった後、最終的に涅槃を示現した;後世に精彩絶倫、微妙な義理を中国の士大夫達に憧れた。仏菩薩は慈悲な気持ちは更に人達が過去の孝順や仁慈の善根等を起こさセて、だから仏法はだんだんと中国の世の中で良く流行した。

ナレーション:職人達は細工して、一尊又一尊の非常に荘厳な仏像が世間に現れた。画工たちも繊細と典雅な仏菩薩像を描いて、それぞれの家族が迎えて供养した;皇帝から庶民まで、老若男女は全て仏法が中国に来たと知っていて、どの家も彌陀仏陀、どの戸も観世音だと流行り;夕暮れの太鼓と朝の鐘をふくらまして、高山に有名な寺は知恵と道行を図る基準となった。

陆正元先生:我が中国は昔から土地が広く資源が豊富で、同時に世界の三分の一の人口を養育した、更にまた、儒家との温めて潤し、厚い人文の基礎で、甚深に微妙な大乗との正法がこの福地で盛り上がる因縁と出来だ。本来は古代の中国には、卜筮、占いが非常に盛んた,人々は困難に遭遇した時、神を求めて、吉凶を占めて、だから道家の术は非常に盛んた。だが、二乗の仏法は中国へ伝えて来た時、利己な雰囲気はあまりにも強くて、「生民の為に命を尽くす」との中国伝統的な心地とあまりにも応じない。だからこの地域の学人の多数は菩萨の心地で、それらが大乗仏法の薫陶を受けた後、本当の正しい道の義理を了解し、自然に正確な選択を決め、神を祈りや占い等を捨てて、南伝仏教地域に二乗との小法で主修だと違うのだ。

ナレーション:大乗仏法は広大な中国の土地で流布して、积极的に入世し、無私に無我で、多くの知識人の礼敬を獲得できた。歴代の皇帝や、有名な丞相、朝野だと一致して敬重し、士大夫が天下の名寺を遍歴して、香を焚し、仏陀を礼拝して、各地高僧大徳と法に聞くことを交遊し、上がやれば下もまねをして、庶民達も常に影響され、持斎念仏、更に中国伝統文化の代表となった。隋唐は2代の王様さえ毎月の中に6日又10日の茹素との規定で、斎日を普及した、更に全年の中に三ヶ月の長斎月も規定した。その影響に及び所では今でも華人達も朝斎や、初一、十五日に素食や、及び七七四十九日素食で福を祈る伝統もある。

陆正元先生:大乗仏法が中国に普遍に広がった後、修学者が了解したのは大乗の仏弟子が必ず広大な菩提心を発し、無上な正等正覚を成就する願いをして、それに必ず生生世世に一切の戒律より最上な戒律との菩薩戒を受ける、そして未来の际に尽くして、すべての仏法を修学し、無量の衆生を摂受と救い、三大の阿僧祇劫で长期な修行に続いた後に、それなら佛道が円満に成就ができる。

ナレーション:菩薩戒の第一条の軽戒とは:受戒の菩薩は衆生の肉を食わなく、慈悲で茹素する。衆生は無始以来、互いに父子や親族で、養育という恩返しさえ償えないのに、それらを食べる事を忍ばない;それに茹素の軽戒の中に関する大蒜や韮、葱などは気味が臭くて、それで他人が心から悩みを起こす可能性も、それにそれらの教化を妨害しかもしれないし、だからそれらを戒除すべきだ。中国皇帝は自身によって菩薩戒を提唱し、それに自らも菩薩戒を受けた原因で斎日や斎月を制定した、その影響を及んで、多くの民衆は困難を遭遇した時に、仏菩薩の聖像の前に誠心誠意に願い、持斎と茹素をして、仏陀菩薩の霊感を祈願して、慈悲を受け、厄を解除する。

陆正元先生:菩薩戒を受持して非常に広大な利益がある。受戒しなかった人に対して、たとえ彼は悪事を造らなくても、それもその個人の私徳と修養に過ぎない、然し、戒律を守る菩薩にとっては例え同じく悪業を作らなくても、彼の身口意行は菩薩戒の十重四十八軽の戒律を守れば、彼は同時に十方の法界の有情に対して、この戒法を守っている。なぜなら彼の心念は無辺に広くて、だから戒律を守り功徳は無量無辺に広大と不思議である。だから戒律を受けると受けない人と二種の人が表面から見ると、彼らの行為は同じ様に見えても、彼らが受けた功徳の大きさは全く比較できないのだ。

ナレーション:菩薩戒を受ける事と三帰五戒を受ける事と比較すれば、三帰五戒を受ける人は六十一位の善法の神が見守られるが、菩薩戒を受ける者は成仏との発心が不思議なので、守ってくれる善法の神が多くて数えきれない。

陆正元先生:菩薩戒の戒体を持って、戒律を用心に守る菩薩では、例え気つかなくて重い悪罪を作って地獄に落ちても、彼は大抵早く目覚めて、懺悔し、それで早く悪道から脱出できる。若しある菩薩の懺悔の力が弱くて、悪道から脱出難くて、継続的に悪道の中で苦労しても、仏陀が仏眼で観察し、大神力でこれらの菩提心を発していた菩薩を受取って、彼らを早く悪道から脱出し、仏道の中に安住させる。そして彼に過去の因縁を開示して、深心から懺悔させて、仏法の中に安住し受学する。菩薩戒と言う千仏の大戒がこのような不思議な功徳力がある。だから諸菩薩達は皆熱心に菩薩戒を受ける。だから中国は世界で最も人数が一番多くて菩薩戒を受けて、割合も最高な国だ。

ナレーション:2500年前、大雄世尊は三百余りの盛大な法宴を開演した後、捻花で黙然に真如を開示した。そこ場合に大迦葉尊者が契会し、破顔にほほえんで世尊を回応した。それで如来は大衆に宣言した:この正法眼蔵、涅槃妙心はもう迦葉尊者に伝えた、これは禅宗の初祖だ。それで大迦葉尊者から、禅宗の祖師達が一代及び一代に涅槃妙心との如来蔵だという秘密な教化を見守って、未来に花が咲くような、中国にての崛起を待っている!

陈正源先生:大乗仏法は見道は自心真如を自ら実証するのは首要だ。だが真如の形相はこんなに微細で学人は例え博学して硬く覚えても、例え教理を通じても、禅と言う無門の門をなかなか触かないのに、まして内門に入って、大乗との真実な知恵を尋ねる事だ?だから例え一生の時間を使って禅坐を修学しても、例え一念も生れず、妄想を死なせても、それが真如心の涅槃静寂とは全く関係ない、禅宗の祖師が既に言ったが、禅は坐る事ではない!

ナレーション:真如は真実で永遠に壊らなく、一切の境界に永遠に如々不動だ。一体、真実で永遠に壊らなく、それに真如だと言う体性を全て備えるのはどの心なの?

陈正源先生:有情衆生がそれぞれの身体は全て新たに出生した様子は全然違う;然し皆さん良く知っている目耳鼻舌身意との六識は真如性が備えない,皆にこの一生を生き終わったらそれで終了で、次の人生に及ばない。世世の新たに生まれた六識か覚知心は女性を演じて女のようで、男性を演じて男性のようで、皆と前世の六識とは違い、当然に前世の名前等を覚えてないはずだ。それぞれの有情は全て六道の中で輪廻して、各種類の意識心はそれぞれ違っても、六識心がただ一生しか存在しない、それは永遠に壊滅しない真心ではない。

ナレーション:六識心は一生ごとに断灭する際に、次の一生に轮廻する仕方がないが、一体この虚妄の中に輪廻しているのは誰だ?どの心はずっと輪廻しているの?もしこの心がないなら、輪廻するものはないじゃないの?

陆正元先生:仏陀は私達を教えた,この生れ付いた我見、我執を備えた輪廻心は第七識の意根だ。全ての衆生は自分の第七識の意根の推進で絶えずに輪廻している。第七識は第六識のような記憶がなくて、物事の良さ悪さを覚えない、痛みと楽みも感じない、ただ絶えず勝手に決定して、五陰に善悪業を作らさせて、絶えずに衆生を輪廻させて、しかも輪廻を停止するのは何も知らない。

ナレーション:だが、私たちは修学するのは本心を見つけることではない?この第七識の意根はずっと虚妄輪廻の中で自分もわからない、これは妄心で、偽りの心だ,それなら真心はどんな心でしょうか?

陆正元先生:幸いに仏陀は私達に教えた,全ての有情は意根以外に、第八識如来蔵が永遠に存在する,この第八識は真心で、前の七識を生まれて、そしてこれらの八つの識は別々な役を立て、それで衆生の生死輪廻を起こしたのだ。

ナレーション:禪宗第28代祖師――達磨祖師は、ちょうど中国で学人達は仏法を親証する求道心が開始した時に中国へ来った。達磨祖師は二祖慧可に伝授した般若実相の親証とは第八識如来蔵を見つがる事だ、そして仏経の「楞伽経」で認定の根拠となった。それから、中国禪宗は、「楞伽経」で悟りの伝承となった。この「楞伽経」の中に言う第八識如来蔵は、真実で破れない心だ、これこそ本当に真如の体性を現れる妙心だ。

陈正源先生:衆生は必ず第八识如来蔵を悟った後なら、無始以来の輪廻の大夢から目が覚める事ができる。まるで禪宗永明大師の『证道歌』中の言葉で「摩尼珠は、人は識別せずに、如来蔵の中に収納される。」このきらきらして透明な摩尼珠は如来蔵だと、人々皆が有り、然し皆が知らない。宋朝の茶陵郁禅师も悟った後にこのように言った。「私は1粒の明珠があり、久しく世の苦労に閉鎖され、今日は世界を破って光が溢れて、山河大地に花を全て照らす。」きらきらして透明な摩尼珠は衆生皆が本来に自在な第八识如来蔵だ,無量と無辺な功徳があって山河大地の一切の法を生まれた。縁があったら、衆生が大乗法に入るなら、必ずこの生命の大宝蔵が得られる。

ナレーション:この如来蔵の妙義は、中国仏法の本質で、歴代中国文化の中で最も輝かしい明珠で、仏法の最も深い密意と誇る;代々の中国人をその大乗仏教の香りの中で、それぞれの世代に悟る聖賢を成就させた。我々は信じるのは、中国禅法の文化を回復して、如来蔵妙法が続けてこの土地に発展して、中国は世界で最もあこがれの心霊の文化大国になれるだろう。

仏法は東来で妙法を伝え,震旦中国は善根を起こす。
大乗宗門は不思議で、最上無上な第一義だ。
如来蔵心は第八識で,万法が全て此処から生まれた。
中国文化は長久し,皆は賢聖が真如を証する。
一乗の妙義が不思議で、三帰五戒を頂戴だ。
八識の妙義が万代に伝え、不滅な有情は妙な真如だ。


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